2月:義仲寺
2月12日(
日)〜14日(火)
この旅を計画したのは、松尾芭蕉翁の終焉の地とお墓をお参りするためでした。
しかし木曽義仲と深い関係のあった巴御前を調べていくと、諸説入り乱れてミステリアスなの状況です。それに義高の母親についても、山吹御前説があるなど真相が分かりません。
巴御前は、義仲と死別後、和田義盛の妻となった説が有力で、夫との間に朝比奈三郎義秀が産まれています。夫と息子の死後、越中に逃れて91歳で亡くなったということです。
義仲寺へ行った時に貰ったパンフレットを見ると「年あって、見目麗しい尼僧が、この公の御墓所のほとりに草案を結び、日々の供養ねんごろであった・・・」と記してあります。
一体どれが本当のこか分からなくなりますが、その時のことを思い出しながら、再構成してみました。(令和7年12月)

南御堂付近:芭蕉翁の終焉日となった場所には句碑などが建っていました。

芭蕉翁終焉の地:碑が道のど真ん中に建っていました。

日本銀行大阪支店

瀬田の唐橋:利用したホテルが大津瀬田駅近くでした。

これも瀬田の唐橋だと思います。

石山寺

幻住庵:松尾芭蕉翁が、寄宿した庵です。

幻住庵:松尾芭蕉翁が、寄宿した庵ですが、月曜日はお休みでした。

幻住庵句碑:「先づたのむ椎の木も有夏木立」と詠んでいるようです。

とくとくの清水:この水を使って自炊生活をしていたと記してあります。

三思の磐:大津市のなぎさ公園まで戻ってきました。

近江大橋:この橋を渡って、大津瀬田駅前のホテルへ戻しました。

義仲寺境内案内:月曜日が休日だったので、これだけ撮影してホテルへ戻りました。

木曽義仲公の墓

松尾芭蕉翁の墓

不明

朝日堂の内部:

もう一度行かないと分からないことばかりです。

京都駅新幹線ホーム