屋 島
11月13日(月)

琴電瓦町駅
屋島小学校正門
屋島城登城口
屋嶋城跡
西暦663年3月に白村江の敗戦を契機に建てられた城が、屋嶋城(やしまのき)だそうです。平成10年2月に発見されました。
琴電屋島駅から、へんろ道を上っていると、屋嶋城へ300mの案内板がありました。それを辿っていくと、行けども行けどもそれらしき場所に出ません。
辿り着いた城跡の看板を見ると「健脚者用」と書いてありました。
第84番札所八嶋寺
八嶋寺境内
血の池
合戦に勝利した源氏が血の付いた刀を洗ったため、真っ赤に染まったそうですが、今は、紅葉が赤く染まっています。
八嶋合戦城跡
佐藤継信の碑
案内板に「旧へんろ道」とあり、道も階段が崩れていたり、相当歩きにくかったので、誰も来ないと思っていたのですが、84番札所の屋嶋寺から85番札所の近道なので、立ち止まっていると後から来るわ来るわの驚きでした。結構、外国人の姿を見かけました。
結願まであと少しですよと、声を掛けたくなりました。
動画では、斉藤となっていますが、正しくは、佐藤継信ですので、謹んで訂正します。
安徳天皇社
屋島で内裏を構えた場所に安徳天皇ゆかりの社が設けてありました。平家物語巻十一では、8歳の安徳天皇が二位殿に抱かれ、海底深く沈んだとあります。
那須与一が名を挙げた海は、この近くにあります。
弓流しの跡
合戦当時は、この場所が海だったようです。
義経が、流した弓を自分の名誉のために危険を顧みず拾い戻したとされる場所ですが、そんな話が広く伝わっているのがなんとも胡散臭いです。
玉藻公園
屋島から高松へ戻り、少し重くなった足を引き摺り、玉藻公園に着きました。65歳以上は、入園無料です。得した気分です。
天守閣は残っていませんが、天守台に登ると公園内が一望できます。ここで三脚のねじが外れて使えなくなったのには、困りました。
栗林公園
とうとう3日目に雨になってしまいした。栗林公園で出発までに時間をゆっくりしようと思っていましたが、入口まで行ったところで、急きょ変更しました。
後方に見える中国人と思えるグループが団体で入っていったので、嫌気がさしたのかもしれません。
香川県庁食堂
ホテルの朝食でうどんを軽く食べた時、味と喉越しに驚きました。
思わずお替りしたら、なくなってしまいました。しばらくしたら、替えが追加されました。うどんをお替りしてご飯も食べたので、お腹が重くなってしまいました。
二日目は、うどんだけにして3回お替りしました。聞いてみるとなくなったら、茹でて追加して出していました。
香川県庁の食堂でもうどんを食べました。
これだけの量でうどんが300円、天ぷら1個80円、計480円です。
氷を入れるとうどんが締り、歯ごたえが良くなって美味い。
香川は、うどん県だということを実感しました。
当分東京では、うどんが食べられないようです。