西小岩一人旅の会


1月 十二支めぐり


1月7日():吉祥寺駅


与謝野公園

 「吉祥寺七福神めぐり」が混雑してたので、ノンビリ荻窪駅まで歩くことにしました。

 この公園は、与謝野一家が、千代田区富士見町から移転して終の棲家にした家があった場所ですが、地元の人には、あまり知られていないようでした。


1月8日():佐倉駅


佐倉城址公園

 いつもこの公園に来て思うことですが、城址を軍隊が使用していたので、歴史的施設がめちゃくちゃにされてしまっていることです。

 でも、最近、馬だし空堀が発掘されたことを知りました。人馬を敵に知られないように出し入れするところで、全国でもあまり例のないことだそうです。


1月9日(月):足利駅


太平記館
 昨年、吉川英治の「私本太平記」を読みました。
 同じような立場にあった新田義貞と足利尊氏の違いが良く分かりました。
 今でも太平記館は華やかな感じがするのに対し、新田の荘にある「新田荘歴史資料館」が閑散としていると感じるのは、私だけでしょうか。

1月11日(水):本庄駅

歴史民俗郷土資料館

 ここにある「笑う埴輪」は、一昨年に紹介しました。

 今回も同じように6kmの行程なので、あっという間に終わってしまいました。


1月12日(木):寄居駅


浄心寺

 十二支を巡るコースです。

 浄心寺は、今年の干支の「酉」を守り本尊とする霊場だそうです。


1月14日():御茶ノ水駅


本郷給水所公苑

 このコースは、何回も参加していますが、東京都水道歴史館の裏側の本郷給水所公苑のにある神田上水石樋の遺構を初めて見ました。石樋には、蓋も付いていて、なるほどと思わせるものがありました。

 ペットボトル入りの東京水を受け取り、元気に歩きだしました。


1月18日(水):東神奈川駅


真宗大谷派 良泉寺

 幕末期、横浜が開港した時に幕府から「外国人宿舎にするよう」命令を受けましたが、住職が屋根をはがし、「修理中だから」と、その命令を断ったことがあるそうです。


1月21日():川越駅


蔵造りの町並み

 ハイク初日の上、土曜日だったので覚悟はしていましたが、川越の街は、午前中から人だかりで一杯でした。

 蔵造りの町並みも人の列が切れることが稀でしたが、ちょうど、団体さんが通り過ぎた後だったので、町並み全体を撮影できました。


1月22日():伊東駅


物見塚公園

 伊東駅へ午前11時26分に着き、それから歩き始めました。

 いつも通りかなと思っていたら、按針公園を曲がらず、伊東漁港へ向かいました。新井神社から佛現寺へ向かいました。

 佛現寺の山門の長い階段を登っている時、

  「今日は朝から風が強いね〜。午後からやむと思っていたのに…」

と、声を掛けられました。フェレンドリィですね。

 物見塚公園ある松尾芭蕉の句碑を今回の写真にしました。


         けふばかり 人もとしよれ 初しぐれ


 この句碑は、伊東市内にあった「KKR光風閣」にあったものです。

 光風閣へは、平成5年に向島郵便局の仲間達と泊りました。

 その時に見た句碑が、ここに移されていることを初めて知りました。


 この句は、芭蕉が1692年10月3日に江戸彦根藩邸で開かれた句会で「若い人も今日ばかりは、年寄りの気持ちになって、時雨の情緒を味わってほしい」と願って詠まれたものです。(大和郡山市HPより)