西小岩一人旅の会


崇徳上皇

 令和元年11月11日(月)

香風園

 坂出駅から見えたので一寸行ってみました。
 明治の終り、塩田と醤油で財を成した鎌田勝太郎氏が築庭したもので、坂出市が買い受けて順次整備したようでうす。

白峰宮

 降水確率の高い予報が出ていたので、自転車を借りることができず、八十場駅から徒歩でのスタートになりました。
 上皇の崩御後、二条天皇によって社殿が建てられたと伝えられている。

野澤井

 上皇の崩御後、都からの指示を待つ間、霊水と伝わるこの井の清水に浸して、遺体が腐敗するのを避けてた伝えられている。

姫塚

 雲井御所で身の回りの世話をしていた綾の局との間に生まれた皇女の塚であるとされている。

長命寺跡

 当初、仮御所としたのが私邸であったので、不敬があってはならないと考えてこの寺に御所を移したと伝えられている。
 長曾我部来襲で焼失した。

雲井御所跡

 御所の用意がされたなかったため、国府に勤めている当地の長官であった綾高遠(あやのたかとう)の私邸を仮の御所にしていました。

松山の津

 讃岐に流されて最初に上陸した場所です。
 現在は、すっかり内陸地になっています。

崇徳天皇白峯陵

 ここまで延々と石段を登ってきました。入口からさらに石段を上ります。

崇徳天皇白峯陵

 ようやく辿り着きました。

白峯寺

 第81番目の札所です。ここから先は、三脚が使用禁止となっています。

頓証寺殿

 木ノ丸殿をここへ移設し、頓証菩提を弔ったことから頓証寺と呼ばれています。
 現在の建物は、江戸時代の再建なので、木ノ丸殿とは全く異なるようです。

頓証寺殿の鳥居

 参道が道路と交わった歩道を更に右手の道が「西行の道」になっています。

西行法師の道

 ここから、延々と白峯御陵への道が続きます。
 崇徳天皇と佐藤義清(のりきよ)との関係は、義清が出家した遠因なったこともあり、切っても切れないものがあると思う。

青海寺

 上皇の遺体を荼毘に付した際、たなびいた煙がこの地に降りて玉になり、焼失した後、玉が残っとことから、ここに社殿を造営したされています。

 ここから、上皇が「鴨川」と呼んだ綾川に沿って遡り、鴨川駅を目指しました。
 自転車が借りられず、徒歩で回りましたので、歩行25kmになりました。
 今日は、ここまでです。