女 木 島
令和元年11月12日(火)
おにの館

片道370円、往復740円、約20分の航海で女木島に着きました。
入口に食事メニューが掲出されていましたが、入って右手の食堂は、定休日のようでした。
左手に資料展示室がありましたが、照明がなく、全く見えませんでした。
館内には、多くの貸自転車が並んでいました。
カモメの駐車場

風が吹くと「ギィー」と、音を立てて向きを変えます。
モアイ像

高松市にあるクレーンメーカーが、イースター島の倒れたモアイ像の修復プロジェクトの参加し、吊り起こし実験に使用した模型を特別の許可を得てここへ設置したようです。
鬼の灯台

帰りのフェリーが到着するまでの間、港内を散策しました。港付近では、のんびりと釣りを楽しむ人が大勢いました。
フェリー乗り場

来た時と同じ「めおん2」で高松港へ戻ります。
車と同じ船尾から乗船します。両側に歩行者用通路があります。
高松駅で昼食を摂った後、讃岐府中駅に行き、昨日廻れなかった場所に来ました。
讃岐国庁碑

ここに国府があったので、上皇が雲井御所から移されたものでと容易に推測できました。
擬古堂

鼓岡の木ノ丸殿を模して大正2年に建設されたものです。
木ノ丸殿を偲ぶといったことから、擬古堂と名付けられたようです。
ほととぎす塚
付近の村人が上皇に都を思い出させないようにと、ほととぎすを捕えて殺してしまったので、それを弔うために建てられたものと説明文がありました。
内裏泉

擬古堂の北100mの場所に隠れるようにあります。私もつい見逃して、菊塚まで行ってしまいました。
ちょうど谷あいにあるので、旱魃でも枯れなかったとされています。
菊 塚

皇子の顕末(あきすえ)の墓とされています。
わん塚

わん塚と書いた石碑が出土したので、その名が付いたようです。
印鑰明神碑

古代讃岐の国府や大学機関が置かれ、国府の印鑑が保存されてた場所だと伝えられています。
柳 田

崩御の理由が、江戸時代の地誌『讃州府誌』には、「二条天皇が上皇の暗殺を命じ、三木近安にという武士が鼓岡を襲撃した。」と、書かれています。
襲撃から逃れた上皇が柳の樹の穴に隠れましたが、その姿が池の水面に映り、見つかって殺されたようです。
真実かどうか分かりませんが、坂出市のHPの写真と全く違っており、ようやく辿り着いたという感じです。