西小岩一人旅の会

美濃(岐阜)


■8月下旬〜9月5日:大垣 近藤如行宅(場所不詳)
50 蛤の ふたみに分かれ 行く秋ぞ

むすびの地記念館:令和2年8月24日

令和2年のスマホスタンプラリー
 このスタンプラリーに参加するようになって6回目です。
 今年から、スタンプの台紙がなくなって、スマホスタンプラリーになりました。
 しかし、慣れないこととコロナ禍の影響でトラブル満載でした。
1 草加宿では、6月末まで休館しており、7月を待って出かけました。
  しかし、担当者がQRコードを理解していないため、行方不明でした。
  一緒に探して、パンフレットの一番下になっていたコード表を見つけました。
2 仙台榴岡天満宮では、今年は中止だと決めつけて、所在不明になっていました。
3 高舘義経堂では、受付で「私に聞いても分からない」と、追い返されました。
4 気比神宮では、「QRコードを処分しました」と、言われて帰ってきました。
 このような不満を抑えてゴールしましたが、この写真を撮影している最中に担当者げ来てくれて、色々と状況を聞いてくれたので、何となくスッキリしました。
 そこでかけていたQRコードを埋めることができました。
 スタンプラリーでスタンプが全部揃わないと気持ちが悪いです。

おくのほそ道の風景地スタンプラリー
 平成から令和と変わってからも、スタンプラリーに参加しています。
 おくのほそ道を巡っています。
 本年は、33ヶ所のスマホスタンプのチェックポイントも加わり、これまでになく神経を使っています。
 宿泊地の解明を目指していますが、決定的な手掛かりの得られない場所が多く、謎が深まるばかりです。

スタンプラリーダブルチャンス賞
 平成30年もスランプーを踏破ししたので、大垣市から踏破賞が届きました。
 それとは別に大田原市からダブルチャンス賞として唐辛子入りの漬物などの特産品が届きました。

おくのほそ道の風景地スタンプラリー
 平成29年は、全てのチェックポイントを回ったので、踏破賞を貰いました。
 踏破賞の商品を心待ちにしていたところ、仙台からダブルチャンス賞が贈られてきて、それから4月初めに踏破賞が送られてきました。
 ダブルチャンス賞は、萩の月などがあり豪華でした。

おくのほそ道の風景地スタンプラリー
 翌年の平成28年も5か所しか回れなかったので参加賞だけでした。

おくのほそ道の風景地スタンプラリー
 平成27年にこのラリーを知り、初めて参加しました。
 この年は、参加賞の手ぬぐいを貰いました。

あとがき

 1回目は、奥州街道から日本海に出て、越後まで行きました。
 2回目は、平成25年11月10日から、むすびの地の大垣を起点に反対方向の越後路を廻りました。
 帰路、雨に祟られ、三国峠付近で雪になったので、峠越えに肝を冷やしました。
 3回目は、平成26年7月14日から、月山への登山を含め、象潟まで行きました。
 でも、まだ細かいところを見ていないような気がします。
 湯殿山神社をお参りしていないので、もう一度、辿ってみます。
 4回目は、平成29年に年賀状用写真の撮影のため廻りました。
 5回目は、平成30年5月に佐渡島からの帰路、今まで行ってなかった新潟県内を北上しました。最後に芭蕉一行が、山寺から新庄へ戻る際に宿泊した高野一栄宅跡を訪ねて、一巡を完結しました。

むすびの地
 近藤如行宅跡が分かりません。
 大阪は、大阪と結ぶ地点として、何度も利用され、おくのほそ道でもゴール地点に定められるなど、重要な役割を担っているのに困ったものです。
 結び日記念館でも、近藤如行については、
 「大垣蕉門の中心人物だが、伝記はよく分からない。近藤氏。通称源太夫。もと大垣藩士で、早く致仕した隠者ともいう。」と、記載があるだけです。
 一説には、如行宅は、元禄5年9月4日に火事に遭い、焼失したとあります。

 1689年9月5日、芭蕉は、大勢の門人に見送られながら、右手にある水門川から船で桑名に向いました。

伊勢神宮駅前
1689年、芭蕉が奥のほそみちの旅を終えて、伊勢参詣した際に詠んだ句です。
『月さびよ 明智が妻の 咄しせん』は、明智光秀の妻を詠んだとされています。