その後の翁
平成29年2月12日(日)〜14日(火)
松尾芭蕉は、奥の細道の旅の後、1689年11月頃から、滋賀県大津市膳所の無名庵や石山の幻住庵で生活していました。
幻住庵跡
長く急な階段を登り切った場所にある幻住庵は、月曜日が定休日でした。しかし、復元された建物の中が見えないだけで、周囲は、自由に見物することができました。
散策道には、芭蕉翁が使った湧水「とくとくの清水」や色々な句碑が建っていました。
月心寺
京阪電鉄「浜大津」駅から二駅目の「大谷」駅で下車し、交通量の多い国道1号線を渡り、暫く京都方面へ歩いと月心寺がある。
ここに「大津絵の筆のはじめは何仏」の句碑があるというが、門が閉じていて中の様子が覗い知れない。
東海道にあるので芭蕉もここに立ち寄ったかもしれない程度のものだったのかな。
駅の南側にある「関蝉丸神社」の小倉百人一首にある蝉丸の
これやこの 行くも帰るも分かれつつ 知るも知らぬも 逢坂の関
という、和歌に興味を覚えました。
元禄7年(1694年)9月10日の暁より悪寒頭痛に悩み、遂には、病床に就き、10月5日に御堂前の花屋仁右衛門方に移す。10日に遺書をしたため、12日申の刻(午後4時ころ)没
南御堂
芭蕉終焉の地
元禄7年(1694年)10月14日、膳所義仲寺境内に埋葬
義仲寺境内
落柿舎(令和元年10月23日)
◆奥のほそみち以後の芭蕉翁の動きについて調べてみました。
元禄2年(1689年)
11月、落柿舎にて鉢叩きを聞いて、膳所で越年した。
元禄3年(1690年)
正月3日に膳所を発ち、伊賀に帰り、3月膳所に戻る。
4月6日幻住庵、6月上旬上洛、6月19日に幻住庵に戻る。
9月末伊賀へ帰る。12月京より大津へ移り、乙州新宅に越年した。
元禄4年(1691年)
1月上旬伊賀へ帰る。4月18日から5月5日まで落柿舎。以後、去来本宅へ移る。9月まで京・大津・膳所の間を往復を繰り返す。
9月28日無名庵から江戸へ向かう。10月29日江戸橘町彦衛門方に越年。
元禄5年(1692年)
5月中旬、新築の芭蕉庵へ移る。
元禄6年(1693年)
芭蕉庵で過ごす。
元禄7年(1694年)
5月11日 江戸を出立した。
5月22日 落柿舎へ入り6月まで滞在した。
6月16日 京より膳所へ赴く。
7月5日 無名庵から京・去来亭へ行く。
7月中旬〜9月7日 盆会のため伊賀へ帰る。
8月15日 伊賀上野に無名庵を新築する。
9月8日 出郷し、奈良に一泊する。
9月9日 洒堂亭に至る。
9月10日 発熱、悪寒続く。
10月5日 病床を御堂へ移す。
10月12日 申の刻(午後4時ころ)没。
10月14日 義仲寺境内へ埋葬される。