moguの北海道

28 本願寺夜景


本願寺道路     2015・11・12(木)

 豊平から真駒内へ抜ける平岸街道を走ると豊平区と南区の堺に「本願寺道路終点」という碑が天神山の麓に立っている。
 本願寺道路とはなんだろう・・と常々気になっていた。
 何気なくネットで検索して驚いた。

 札幌から中山峠を経由し洞爺に抜ける国道230号の原形が本願寺道路だというのだ。
 明治3年幕府の命を受け、京都本願寺の僧100名ほどが蝦夷に渡り、現在の伊達市長和(ちょうわ)から壮瞥、留寿都、中山峠を越え、平岸に至る、百数十キロの山道を切り開いたとのことだ。
 蝦夷に向う折々東北地方各地の末寺から資金の協力を仰ぎ、仙台支藩の亘理伊達藩からは武士の人的支援を得て開拓に努めたという。
 日頃から身近なドライブルートの230号の歴史を知り、うれしくなった、愛着が増した。
 中山峠越えは今年だけでも8回、これからも何回お世話になるのだろう・・・。

 ・・という想いで230号を走った。行く先は伊達、有珠善光寺。
       
   本願寺道路の古道が残る簾舞近くで神威岳、すっかり冬模様
 中山峠には僧侶を引率した開削の責任者現如上人の立像がある、若干19歳というから驚きだ。
 峠は830メートル、道の駅は冬季閉鎖となっていた。
      
 峠付近から、険しい山を人力でどうやって切り開いたのか・・


                    晩秋の善光寺 銀杏も間もなく冬籠り
 善光寺でプロのカメラマンが銀杏に光が射されるのを待っていた。
 出会った地元の人に善光寺の話をいろいろ伺った。冬の善光寺を勧められた。

 伊達の手前に長和という集落がある、明治のころは尾去別(オサルベツ)といい本願寺の僧侶が開削を始めたところらしい。
 長和には長流川(おさるがわ)があり壮瞥、幡渓と遡る浅めの川がある。
 この川をたどり北湯沢あたりからオロウェンシリベツ川で留寿都方面に入り、尻別川を上流に向えば中山峠の麓にたどり着く。
 山道をつくるには、川沿いがいい・・と勝手に開削ルートを想像し楽しんだ。

 亘理伊達藩が開拓した伊達は、武士の匂いを残す街、宮城県亘理町とのつながりは深い。
 東日本大震災被災で亘理町名産のいちご農家の畑が全滅したとき、伊達市が土地を提供し4家族が移り住み、イチゴつくりを始めたことをニュースで知った。

 伊達道の駅に寄った。この道の駅は野菜の品数がものすごく多い。見ていても楽しいのだ。
 農家のおばさんの手書きの説明書も面白い。何より安くて新鮮だ。
 10日前に来たとき、壮瞥のB級リンゴを買った。イチゴジャムを作るのが目的だったが、味見したら蜜がいっぱい。
 みずみずしくてとても旨い。ジャムは取りやめたほどだ。
 B級リンゴは残念ながら売り切れだった。
 帰りは室蘭・苫小牧経由で札幌へ、久しぶりに室蘭港を跨ぐ白鳥大橋を渡ってみた。

                                     おわり